2019-05-21 第198回国会 参議院 外交防衛委員会 第15号
その結果、平成三十年十月十九日にザグレブにおいて、我が方外務大臣政務官と先方財務大臣との間で、この協定の署名が行われました。 この協定は、日・クロアチア間で二重課税の除去を目的とした課税権の調整を行うとともに、両国における配当、利子及び使用料に対する源泉地国課税の限度税率等を定めるものであります。
その結果、平成三十年十月十九日にザグレブにおいて、我が方外務大臣政務官と先方財務大臣との間で、この協定の署名が行われました。 この協定は、日・クロアチア間で二重課税の除去を目的とした課税権の調整を行うとともに、両国における配当、利子及び使用料に対する源泉地国課税の限度税率等を定めるものであります。
日・スペイン租税条約は、平成三十年十月十六日にマドリードにおいて、日・クロアチア租税協定は、同年十月十九日にザグレブにおいて、日・コロンビア租税条約は、同年十二月十九日に東京において、日・エクアドル租税条約は、平成三十一年一月十五日にキトにおいて、それぞれ署名されたもので、我が国と相手国との間で、二重課税の除去並びに脱税及び租税回避行為の防止を目的として、課税権の調整を行うとともに、両国における配当
その結果、平成三十年十月十九日にザグレブにおいて、我が方外務大臣政務官と先方財務大臣との間で、この協定の署名が行われました。 この協定は、日・クロアチア間で二重課税の除去を目的とした課税権の調整を行うとともに、両国における配当、利子及び使用料に対する源泉地国課税の限度税率等を定めるものであります。
私もかつてユーゴ内紛により破壊されたクロアチアの小学校、これ、五校を修復させていただきましたが、ザグレブの会を主宰しておりました。大変努力した支援でございましたけれども、国際ボランティア貯金を有効に活用させていただき、先方からも感謝され、またその制度を利用できたことを私も感謝いたしております。
それはザグレブだったんですが、そのザグレブでも、日本からの援助が出されているにもかかわらず、日本人の方で現地の方と結婚しておられる女性が五人ぐらいおられるんですが、その方々いわく、自分たちが望んでいることで援助してもらえていないんだというような意見が出ました。どうしてかとお尋ねしましたら、だるまストーブが送られてきたと。
夕べ、ザグレブの明石さんと電話でいろいろ話をいたしました。明石さんは理念と哲学の違いだったというようなことを吐露しておられました。ただ、今度ニューヨークへ帰って、今度は国連の特別政治顧問として世界の三分の一の地域を任されたと。アジア、アフリカ、旧ソ連を担当されるわけですが、どうせ私は青山派ですよとおっしゃっていました。
しかし、それはそれとして、私は、明石さんが二年近くザグレブにおられて、この旧ユーゴの問題に誠心誠意取り組まれた御努力には心から敬意を表したいと思います。 今、寺澤議員からお話がありましたように、カンボジアの成功例は国連のPKO活動の中で最も成功した例、それも本当に数少ないと言っていいと思いますが、極めて少ない成功例の非常に立派なケースであろうと思います。
○国務大臣(河野洋平君) 先般、クロアチアを訪問いたしまして、ザグレブにおきまして関係者何人かとお目にかかりました。さらに、ハンガリーのブダペストに移って、ここでも何人かの当事者とお話し合いをすることができました。
いずれにしましても、今回の訪問につきましては、実はこのクロアチアにおきます問題としまして、クロアチアの中のセルビア入居住地域、クライナ地区と呼ばれているのでございますけれども、その地区のセルビア人とクロアチア人との間の経済交流その他を活発化するためのいろんな計画が行われておるわけでございますが、それを確保するための国連職員がザグレブに追加的に必要だということで、そのための最大二十八万ドルの拠出を表明
私は、就任以来、機会を見て旧ユーゴのいずれかの地域を訪れたい、こう考えておったわけでございますが、国会のお許しをいただきましたので、クロアチアの首都ザグレブを訪問することができました。 御案内のとおり、ザグレブは国連の明石特別代表がここに拠点を設けて、この紛争調停のためのさまざまな努力をここでしておられるわけでございます。
そこで、河野外務大臣がザグレブを離れた翌日にクロアチアがセルビア人勢力に対する攻撃、大攻撃をかけたわけですね。これについて、私は実際にこの攻撃については、今大変武力の差というのは物すごい格差がありまして、あそこにいたセルビア人勢力は相当数が難民として、何かそぼ降る雨の中を行列をして今避難をしている、ボスニアの方へ流れ込んでいるといううわさ、話も聞いております。
ことしになってまたクロアチア政府軍が戦闘を再開をして、もちろんセルビア人勢力がザグレブへまた報復したというのは許されることではありませんけれども、そういうような状況を見てみますと、私は国家承認そのものが時期尚早ではなかったかなと思うわけですし、またこの間のようなああいう大攻撃が行われたということに立って、私はやはり外交関係の見直しということが必要じゃないかと思うのですが、その点について。
それに対しまして、このクライナ地方のセルビア人勢力が翌日二日でございますけれどもザグレブに、これは必ずしも私ども直接確認しているわけではございませんけれども、情報によりますと、ロケット弾を撃ち込んで、数名が亡くなってかなりの負傷者が出たということ。さらには、三日正午には重ねてザグレブに同じように攻撃が行われた、死傷者が出たということでございました。
なぜクロアチアかという点につきましては、クロアチア共和国も含めまして現地の関係方面と種々協議したわけでございますが、立地条件でございますとか、あるいは難民の分布状況等をいろいろ踏まえまして、現地側とも十分協議した結果、実際考えておりますのは、これはクロアチア共和国の首都ザグレブの南東五十キロぐらいのところでございますが、そこのところが用地の提供の可能性、あるいは難民の分布状況等から見て適当であるということは
その後、戦禍を味わったザグレブに行きまして、明石代表に会議の国連に対する要望をお伝えしたり、また現地の病院や難民収容所を訪れ面談し、さらに援護物資倉庫なども視察してまいりました。 戦争には常にやるせない悲しみ、苦しみがつきまといます。また、我が国も過去に非常に悲しく耐えがたい苦しみを経験いたしております。国内外の被災者に対して戦後処理は今日までも行われてきましたが、まだ不満も残されております。
たとえばせんだって大きな地震の起きましたユーゴスラビアのスコピエ地震、このユーゴスラビアでもベオグラードとザグレブというところに二つの対外通信センターがちゃんとある。それから例のシシリー島の大地震が起とったイタリアでも、ミラノとローマに対外通信センターがちゃんと置いてあります。